世界中が不穏な空気に包まれ、スマートフォンを開くたびに心がざらつくようなニュースが飛び込んできます。
同じように感じている人も、きっと少なくないはずです。
「いつか日本も…」という漠然とした恐怖が膨らみ、私はそっと画面を閉じてしまいます。
何が真実で、誰を信じればいいのか。
私たち一般市民には、その全てを確かめる術はありません。
それが余計に、見えない不安を増幅させている気がします。
日々、病院で「言葉の重み」と向き合う仕事をしているからこそ、世の中に溢れる断定的な物言いに、なおさら危うさを感じるのかもしれません。
今回は、心を守るための「言葉との距離の取り方」について整理してみます。
画面の向こう側に感じる、拭えない違和感
ニュースを見ていて、ふと不思議に思うことがあります。
一国のリーダーや周りで支える側近は、基本的にはとても頭のいい人たちのはずです。
過去の指導者たちの失敗や誤った判断が、どれほど多くの人を傷つけてきたか、知らないはずはありません。
それなのに、なぜ同じ道を辿ろうとするのでしょうか。
周りに止める人はいないのか。
それとも、主が聞く耳を持たないのか。
あるいは「自分たちは大丈夫だ、例外だ」という思い込みがあるのか。
立場が上がり、権力が大きくなるほど、周囲の異論は届きにくくなる。
そんな組織の構造も関係しているのかもしれません。
答えは分からないままですが、ひとつだけ確かなことがあります。
いつの時代も犠牲になるのは、ただ今日という日を静かに暮らしたいと願う、私たちのような普通の人々であるということです。
「強い言葉」に削られる心
最近は、国のトップの発言やネットニュースの見出しに、「強い言葉」があふれています。
断定し、拒絶し、時に威圧するような表現。
確かにそれは、多くの人の目を引き、世の中を盛り上げるには効率的で、効果的な手段なのでしょう。
けれど、私はそうした言葉を浴び続けると、心がじわじわと削られていくのを感じます。
内容はどうであれ、言葉の裏に透けて見える「威圧感」が、ダイレクトに自分に向かってくるような感覚。
暴力的な響きに、自分の心が無駄に踊らされて、結果としてひどく疲れてしまうのです。
本来、平和で穏やかな世の中であれば、そこまで強い言葉を振りかざす必要はないはずです。
強い言葉が求められ、もてはやされること自体が、今の不穏な空気を象徴しているようで、余計に苦しくなってしまいます。
言葉の重みは関係性で変わる
もちろん、すべての「断定」を否定したいわけではありません。
時に言い切る強さは、迷いの中にいる人の背中を押し、進むべき道を照らす光にもなります。
ただ、同じ「断定」であっても、その受け取り方は大きく変わります。
その光を受け取れるかどうかは、また別の話。
私が強い言葉を苦手とするのは、あまりに断定的に語られると、かえって「本当に?」と疑ってしまうところがあるからです。
少し素直ではない性格も影響しているのかもしれません。
例えば、初めて会った人に「あなたは〇〇だから、こうした方がいい」と言い切られると、「私の何を知っているの?」と、心のシャッターが半分閉じてしまうのです。
関係性が築けていない中での断定は、納得よりも違和感を生みやすい。
一方で、信頼関係がある相手からの言葉なら、むしろ断定してもらった方が安心することもあります。
結局、言葉の重みは「何を言うか」だけでは決まりません。
「誰が、どんな関係性の中で伝えるのか」によって、その響きは大きく変わるものなのです。
プロとして選ぶ、言葉の「余白」
こうした感覚は、私の仕事のスタンスにも繋がっています。
日々の相談業務の中でも、言葉の扱いには特に気を配り、患者さんやご家族と関わる場面では、言葉に「余白」を残すことを何より大切にしています。
意図して伝えた言葉であっても、受け取り方は人それぞれです。
断定的な物言いは、ときに「これしかないんだ」と相手を焦らせたり、逃げ道を奪って困惑させたりすることがあります。
思った通りに伝わるとは限らず、まったく違う解釈として心に刺さってしまうこともある。
自分の発する言葉が、相手の心にどんな波紋を広げるのか。
その重みとリスクを考えれば、少し慎重すぎるくらいがちょうどいいと感じています。
無責任に断定的な物言いをする人ほど、言葉が持つ本当のリスクに無頓着である―。
職場でそうした場面に触れるたび、かつて自分自身が言葉で痛い目を見てきた経験を思い出し、言葉を「選ぶ」ことの重要性を、改めて実感するのです。
最後に
「言葉」を扱う仕事は、確かに神経を使い、とても疲れます。
でも、だからこそ、自分の意見を押し切るための「強い言葉」ではなく、誰かの隣にそっと寄り添えるような「余白のある言葉」を大切にしていきたい。
この不安定な世界で、せめて自分の周りだけは、穏やかな空気が流れる場所でありたいと願っています。
そして、言葉の持つ力によって心が疲れてしまったときは、そっと距離を置いてもいい。
その選択もまた、自分を守るための、大切なひとつの方法なのだと思います。


