【親の子供返り】老いて幼くなる母との向き合い方─50代娘の覚悟

家族・人間関係

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私の母は現在83歳。
幸いなことに、要介護申請もせず、姉夫婦と同居しながら元気に暮らしています。
私自身も3〜4ヶ月に一度のペースで実家に帰り、母の顔を見るようにしています。

長い間、私の中で母は「いつまでも変わらない存在」でした。
けれど、ふとした瞬間に見える仕草や言葉づかいに、「年老いたな」と感じることが増えてきたのです。
特に気になったのは、身体的な衰えよりも、精神的な“幼さ”でした。
最近では、怒りっぽくなったり、拗ねたりと、まるで子どものように感じる瞬間もあります。

親の老いに直面している同世代の方々にとって、この「子供返り」のような現象は決して他人事ではないでしょう。
今回は、私の母に見られる変化を通して感じた“親の老いとの向き合い方”について綴ります。

少しずつ進行していた「母の変化」

身体の変化―耳の遠さと食事量の減少

高齢になれば仕方のないことですが、以下の変化は顕著になりました。

  • 以前から遠かった耳が、さらに悪化している
  • 昔と比べて食事量がかなり減った

これらは老いによる体の衰えであり、受け入れるしかない事実といえます。
家族としては寂しい状況ですが、本人が一番気にしている場合も少なくありません。
そんな姿を見るたび、母が年老いてきたという現実をあらためて実感します。
しかし、身体の衰えを受け止める中で、私をさらに戸惑わせたのが、次に訪れた「心」の変化でした。

心の変化―増えた被害妄想と幼い言動

母とかかわっていて最近特に気になるのが、感情や言動の不安定さです。

  • 被害妄想や僻みのような発言が増えた
  • 全てにおいて幼くなったと感じる

特に「幼くなった」という感覚は、単なる老いでは片付けられない違和感を私に残しました。
この「幼さ」こそ、世に言う「子供返り」ではないか。
私はその正体を深掘りしてみることにしたのです。

親の「子供返り」とは?その正体と心理的背景

「子供返り」の定義と主な症状

高齢者の「子供返り」とは、判断能力や理解力が低下し、子どものような振る舞いが見られる現象を指します。
退行現象とも呼ばれ、老化や認知症、心理的な不安が重なって起こることが多く、次のような特徴が見られます。

  • 些細なことで泣いたり怒ったりする
  • 一人での行動を不安がり、常に誰かのそばにいることを求める
  • 自分の要求が通らないと不機嫌になる
  • 日常生活でできていたことができなくなる

では、なぜこのような“子供返り”が起こるのでしょうか。
背景には、身体的な衰えだけでは説明できない心理的要因があります。

「子供返り」の原因と心理的要因

子供返りの原因は、認知症や老化だけでなく、心理的な要因や環境の影響も大きく関わります。
具体的には次の通りです。

  1. 老化による認知機能の低下:判断力、記憶力、理解力が衰える。
  2. 認知症:症状の一つとして退行現象が現れる。
  3. 心理的な防衛機制:不安、ストレス、孤独感、将来への恐れなどに対処するため、無意識に幼い頃のように振る舞い、周囲の関心を引こうとする。
  4. 環境の変化:引越し、施設への入所、家族との死別など、生活環境の大きな変化がきっかけになる。
  5. かまって欲しいという承認欲求:周囲の関心を引きたくて、意図的に子どものような言動をとる。

私の母はまだ「認知症」と診断を受けるレベルではありませんが、認知機能の緩やかな低下と、将来への漠然とした不安が、この“幼さ”を引き起こしているのかもしれません。

幼児と高齢者が似る理由

「子供返り」という言葉があるように、幼児と高齢者には似ている部分が多くあります。
たとえば、次のような特徴が挙げられます。

  • 自己中心的な思考になりやすい
  • 依存心が強くなる
  • 同じことを繰り返し聞く・話す
  • 待つことが苦手

特に「待てない」「一つのことに固執する」という点は顕著です。
入院中の高齢患者がナースコールを何度も押し続けるのも、「まだ看護師が来ない」という不安と、「自分の要求をすぐに満たしてほしい」という幼い感情の表れといえるでしょう。
認知機能の低下によって思考の幅が狭くなり、感情をコントロールする力が弱まる―それが“子供返り”の本質なのかもしれません。

娘として感じた「母の子供返り」の具体的な兆候

私の母に見られる「子供返り」のような言動も、先述した「不安や依存」といった心理的背景と無関係ではないと捉えています。
ここでは、私が娘として実際に感じた母の変化を具体的に振り返ってみたいと思います。

不調の訴えから「消極的になる」言い訳

母と接する中で、身体や気分の変化を理由に行動を控える場面が増えてきました。
たとえば、次のような様子が見られます。

  • 身体の痛いところや具合の悪いところを頻繁に伝えてくる
  • 頑張れば出来ることでも、言い訳をしてやろうとしない

これは、「助けが欲しい」「一人では不安だ」という甘えと依存のサインです。
しかし、できることまで放棄しようとする姿に、家族は戸惑いを覚えます。

僻みと被害妄想で「勝手に拗ねる」心理

特に同居している姉が戸惑っているのが、母の被害妄想と拗ねた態度です。

姉の話では、「こちらは何の悪気もないのに、母が勝手に被害妄想を膨らませて拗ねる、ということが最近増えた」とのこと。
母は常に「自分は悪くない」というスタンスで、私が帰省した際にも姉や姪の悪口を言うようになりました。

これは、心の中にある不安や劣等感を「他者のせい」にすることで自分の自尊心を保とうとする防衛機制の現れではないかと考えられます。

以前はなかった「機嫌を取る」態度

そして何より私が驚いたのは、母の私への機嫌をうかがうような態度や発言が増えたことです。

以前は毅然としていた母が、「嫌われたくない」「見捨てられたくない」という承認欲求からか、まるで子どものように私の顔色をうかがい、私に忖度しているように見えるのです

私たち娘が親の機嫌を取ることはあっても、その逆は想像していませんでした。
この変化は、親の権威や自尊心が揺らいでいる証でもあり、母が「娘に依存しなければ生きていけないかもしれない」という根源的な不安を抱えているように感じます。
その様子に触れるたび、何とも言えない切なさが胸に迫ります。

親の老いを受け入れるということ

同じ50代の皆さん、ご自身の親に対してこのような変化を感じたことはありませんか?

親は親。いつまでも元気でいてほしいと願いますが、当然そういう訳にはいきません。
私たちは、親の老いという避けられない現実に直面し、その変化を受け入れる覚悟を求められています。

仕事柄、親の最期をどこで迎えるか、家族に答えを促す機会も多い私ですが、いざ自分の親の老後や最期のことを考えると、理想と現実の間で悩み苦しむことが増えてくるだろうと想像します。
それでも、今まで苦労を掛けた親には、最期まで出来るだけ穏やかに過ごしてもらいたい
これは娘としてのエゴかもしれませんが、そのエゴとも向き合いながら、少しずつ親の老いと、私自身の覚悟を決めていくことが必要なのだと思っています。

終わりに:理解と愛情をもって寄り添う

「しっかりしていた親が、子どもみたいになってしまった」と感じると、寂しさや戸惑いが押し寄せます。
しかし、本人にとってはそれが精一杯の自己防衛。
否定せずに気持ちを受け止め、以下のように対応することが何より大切です。

  • 不安や甘えを受け止め、安心感を与える
  • 子ども扱いせず、一人の大人として尊重する
  • できる範囲の役割を与え、自尊心を保つ
  • 家族で情報を共有し、対応を統一する

親の子供返りは、老いの自然な過程でもあります。
それは悲しい変化であると同時に、親が“生きている証”でもある。
寂しさの中にある親への愛情を見つめながら、できるだけ穏やかに寄り添っていきたい―そう感じています。

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