「どうしても気が合わない」「相性が悪い」
職場やご近所など、どんな場所にもいる苦手な相手に、私たちは日々遭遇します。
本当は関わりたくないけれど、「分別ある大人」として冷静に対応しなくてはいけない。
頭では理解していても、感情が追いつかないことはありませんか?
今回は、50代の私が抱える「理性」と「感情」の葛藤を、皆さんと共有したいと思います。
私が「この人なんか嫌だな」と感じる相手の特徴
自分が大なり小なり不快に感じる人には、いくつか共通する傾向があります。
場面が違っても本質は似ていて、一緒に過ごすだけで疲れてしまうタイプです。
日常の中で気になる「苦手な行動」
こういう相手とは、たとえ関わりを避けたとしても、同じ空間にいるだけで苦痛になってしまいます。
職場でストレスを感じる「困った言動」
職場では個人の振る舞いが部署全体の雰囲気や業務に影響するため、日常よりも強くストレスを感じやすくなります。
なぜ「大人としての振る舞い」ができないのか

私が大人としてうまく振る舞えない典型例は、挨拶に表れます。
こちらが挨拶しても無視されると、瞬間的に「二度と挨拶するか!」と腹が立ってしまうのです。
本来、落ち着いた大人は、相手の態度に左右されず、自分の礼儀を貫けるはず。
しかし、私はそこで同じ態度を返してしまい、「相手と同じレベルに成り下がってしまった」と後から自己嫌悪に陥ります。
その根底にあるのは、「この私にそんな態度を取るなんて」という、傷つけられた自尊心に対する怒りです。
思わず「同じ目に合わせてやるわ!」と、まるで子どものような報復衝動が湧き上がってくるのです。
「50代にもなって、この体たらくか」と情けなく思う反面、これが自分の本性だと半ば諦めています。
結局、この「やられたらやり返す」という衝動は、自分の存在を認めさせたいという承認欲求や自己顕示欲と似たものなのかもしれません。
年齢を重ねても消えない、自分の内側の“小さな子ども”が顔を出す瞬間です。
感情を揺さぶる相手との向き合い方
職場では、この“小さな子ども”の部分をさらに強く刺激してくる人がいます。
例えば別部署で、自分の業務も十分把握できていないのに、他部署の仕事に口を挟む厄介な人。
会議中、医師から私に向けられた質問にまで割って入り、代わりに答えようとする。
しかも、その説明が間違っていることも少なくありません。
間違いを正そうとすると露骨に不機嫌になり、空気が悪くなるのです。
なぜこちらが余計な気遣いをしなければならないのか、本当にイライラします。
この手の「何でも知っている自分、すごいだろう」と威張りたいタイプは意外に多く、尊敬を集めたいのか、注目されたいのか分かりませんが、とにかく扱いが難しい存在です。
私は以前、どうしても我慢できずにその人と言い合いになり、後始末が大変でした。
この経験から懲りて以来、私は心に決めました。
二度と余計なことは言わない。何か言われてもスルーすると。
自分が感情的に反応することで、状況がより面倒になり、自分自身が疲弊することを痛感したのです。
50代で気づいた「余計なことを言わない賢さ」
50代まで生きてきて、つくづく思うのは「余計なことを言わない人が最も賢い」ということです。
気に入らない態度の人にも反応せず、必要なことだけを淡々とこなす。
周囲の雰囲気を読み、言うべきか飲み込むべきかを瞬時に判断できる人こそ、いわゆる“きちんとした大人”なのでしょう。
一方で私は、あと一歩のところで踏みとどまれないことがあります。
普段は問題なく振る舞えても、「どうにか一矢報いたい」という衝動が顔を出し、つい余計な一言や、キツい言葉を発してしまうことがある。
そのたびに「またやってしまった」と反省しつつも、完全に感情を消すことは今も簡単ではありません。
しかし最近、言葉を飲み込むことは“負け”ではなく、“静かな強さ”だと感じるようになりました。
反応しないという選択は、自分のエネルギーを奪われないための防御であり、自分の心を守る力でもあるのだと気づいたのです。
理性と本音の狭間で見極める「大人の線引き」
感情に流され「小さな子ども」になってしまう自分と決別するために。
ここでは、50代で確立した「我慢しない」という本音を許容しつつ、理性でコントロールするための具体的な自分のルールを紹介します。
我慢したくないという「本音」の許容
大人だからとはいえ、常に我慢ばかりでは心がすり減ってしまいます。
普段の私は”分別ある大人”として体裁を保っていますが、根底にある気質がふとした拍子に顔を出す瞬間があるのです。
経験を重ねて50代になった今、人前で上手に取り繕ったり、必要に応じて手厳しく詰めたりと、状況に合わせた振る舞いもできるようになりました。
しかし「大人としての態度」を意識する一方で、「もういい年なのだから、我慢ばかりしなくてもいいのでは」という本音も心の奥には残っています。
TPOやハラスメントには最大限の配慮が必要ですが、どうしても堪えられない出来事に対しては、社会経験のある50代として発言力を行使することも許されるのではないか。
そんな思いがあるからこそ、素直に反省しきれないこともあるのです。
線引きの内側を守る「3つの防御ルール」
合わない相手と接する際、私は自分を守るための防御線として、次の三つのルールを意識しています。
これらは、私が疲弊せずに相手と関係を保つための判断基準です。
線引きの内側にとどまりつつ、状況に応じて対応できる自分の枠を明確にしておくことが大切だと感じています。
線引きを超えた際の「最終判断基準」
大切なのは、後から誰かに「なぜその言動をとったのか」と問われた時に、きちんと説明できるかどうかです。
「自分の中ではそれが正しいと思った」「自分なりの理由があった」と言葉にできる準備があること。
この説明責任を果たすことこそ、理性と本音のバランスを保ちつつ行動する大人の最終判断基準です。
自分の線引きを明確に理解していれば、どこまで我慢し、どこから行動に出るかの判断も迷わず行えます。
必要に応じて感情に任せる選択も、責任ある行動として納得できるのです。
あなたは、合わない相手にどう向き合っていますか?
50代になると、ただ我慢するだけが正しいとは思えなくなります。
けれど、感情のままにぶつかれば、人間関係はしんどくなるばかりです。
だからこそ、
を見極めることが大切だと感じるようになりました。
あなたは合わない相手と接するとき、どんな工夫をしていますか?
自分の心を守りつつ関係を続けるために、あらためて“あなたの距離の取り方”を思い返してみてください。



