言葉にならない感情と、50代の私が向き合う時間

人生観・心の悩み

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言葉にできない気持ちを、そっと見つめ直す

昔から、ふとした瞬間に胸をよぎる“言い表せない気持ち”

それは不安でも、喜びでも、怒りでもなく、誰かに説明しようとしても、途端に薄れていってしまう曖昧な感覚です。
若い頃から時折気づいてはいたものの、50歳を過ぎてから特にその強さが増したように感じます。

「なんて言えばいいんだろう」と自分でも困ってしまうのに、確かにそこに存在している。

今回は、そんな“言葉にできない気持ち”について、今回は少しだけ、私の内面を掘り起こしてみたいと思います。あなたにも、似た感覚があるでしょうか。

夜景の灯りが呼び起こす、胸のざわめき

初めてその感情に気づいたのは、高校生の頃でした。

部活帰りの夕暮れ、友人と学校近くの小高い山に登り、夜景を眺めるのが習慣でした。
日が沈んで暗さが増していく時間帯、街の灯りがゆっくりと浮かび上がる光景を眺めていると、胸の奥が静かにざわつく瞬間があったのです。

見渡す限りに広がる、無数の部屋の灯り。

その時、ふと気が付いたのです。
あの無数の灯りの一つ一つに、家庭があり、そこで暮らす人がいて、それぞれが自分の人生の主人公として生きているんだ、と。

私が「その他大勢の中の一人」だと気づいた日

それまでの私は、自分が世界の中心にいて、自分の周りにその他大勢の人がいる、という極めて自己中心的な視点で世界を見ていたように思います。(説明が難しくて恐縮ですが…)

そうではなく、自分もまた、この無数の中の一人なんだと初めて実感したのです。
まるで世界の巨大なパズルの中に、自分も小さなピースとしてはまっているような感覚。

自分もまた、他者から見ればその他大勢の一人であるという、ごく当たり前の事実に、心の底から気づいた瞬間でした。

無数の灯りの前で生まれる、名前のない感情

それ以来、夜景を眺める時の私の視点は変わりました。

無数に瞬く灯りを見るたびに、その灯りの中で暮らしている人々は、今何を考え、何を求め、どんな人生を生きているのだろう、とつい考えてしまいます。
そして、その人たちに向けて「私はここにいるよ、私は今こういう人生を歩んでいるんだよ」と、自分の存在を広く認めてもらいたくなるのです。

これはどういう感情なのでしょうか。
自分の存在を声高に主張したい自己顕示欲
それとも、誰かに見てほしいという承認欲求

どちらも当てはまるようで、でも何だかしっくりこない。
あなたなら、この気持ちにどんな名前をつけますか?

行事のたびに胸をよぎる「あと何回」という思い

そして、50代に入ってから、また別の形で「名付けようのない気持ち」が強くなりました。

母親の誕生日や正月などの行事で実家に帰省するたびに、ふと胸に浮かぶのは「あと何回、顔が見られるのだろう」という、親の老いに対する寂しさです。
こうした感情は、年齢を重ねた誰もが抱く、ごく自然なものかもしれません。

その後、私が直面するのは別の問題です。
私はふと、「自分はあと何回正月を迎えることができるんだろう」と、何かに急き立てられるような、強い焦燥感に駆られるのです。

ああ、どうしよう。私は残りの人生、どうやって過ごしたらいいの?と。

年齢とともに濃くなる感情はどこから来るのか

だからといって、何か行動を起こすわけでも、誰かに相談するわけでもありません。

ただじっと、そこはかとない寂寥感を覚えながら、そんな自分を「また変な気持ちになってる」と俯瞰する。
まるで自分ではない誰かの感情を眺めているように。

そして、この胸をよぎる感覚は、正月という特別な日だけに限定されません。
正月だけでなく自分や夫の誕生日、結婚記念日といった、家族の営みの中での行事でも、決まって同じ気持ちになるのです。
この感情は、年を重ねて確実に死に向かっていると自覚し始めてから、特に強く感じるようになったのかもしれません。

ただ、こうした焦りや虚しさの感情は、本当に一過性のもの。
行事が終わり、日常の忙しさに戻れば、その不安や寂しさはすっと消えてしまう。
なのに、また次の行事がやってくると同じ波が寄せてくる。
理由はわからないまま、その繰り返し。

もしあなたにも似た感覚があるなら、それはどんな場面で訪れますか?

名前はなくても確かにそこにあるもの

正直に言って、この気持ちが何なのか、自分でもよく分かりません。

でも、名前がつかないからといって消えるわけでもないし、無かったことにもできない。
むしろ、言葉にならないからこそ、深く心に残るのかもしれません。

もしかしたら、この名前のつけられない感情こそが、私たちが「人生の主人公でありながら、同時に無数の脇役の一人でもある」という、矛盾した存在を抱えながら生きている証なのかもしれません。

この文章を読んでくださったあなたは、この気持ちを何と名付けますか?

私は無理に答えを出すことはせず、ただ、その感情が自分の中にあることを静かに受け止めていきたいと思います。

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