「あんな人じゃなかったのに」─親の老いを直視できない私

家族・人間関係

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「あんな人じゃなかったのに……」

実家に帰るたび、その言葉が喉元までこみ上げます。
けれど、口に出すことはできません。
前回のブログでは、83歳の母に感じ始めた「精神的な幼さ」について書きましたが、先日短期間の帰省をした際、その影はさらに色濃くなっていました。

今日は、「エゴ」と「現実」のあいだで揺れている、今の率直な気持ちを書いてみようと思います。

強まる被害的な受け取り方と、疲弊する家族

実家でまず感じたのは、母の被害的な受け取り方の強まりでした。
家族の何気ない言動に対して、「なんで?」「どうして?」と問い返す場面が増えています。
しかも、「なぜそこに引っかかるの?」と戸惑うようなタイミングで。

私が姪のためにしようとしたあることに対して、母はこう言いました。
「なんでそんなことするの? 姪はありがたいなんて思わないよ」

私は見返りを求めているわけではありません。
ただ、自分がやりたいから行動するだけ。
そんな私の純粋な動機を否定し、悪意を投影するような母の言葉に、少なからずショックを受けました

同居している姉の負担は、さらに大きいようです。
外出に誘う時の言い方が気に入らないと拗ねる。
返事を急かすと「もういい」と拒絶する。
言っていないことを言われたかのように話を作る。

「常に気を遣わなければならない。正直、疲れ切っている」
姉の言葉を聞くたび、申し訳なさと言いようのない不安が募ります。

会話のあいだに生まれる“空白”

もう一つ、気になった変化があります。
母の返事に、少し間があくようになりました

「どっちがいい?」「お茶でもする?」
そんな何気ない問いかけにも、すぐには言葉が返ってきません。
もう一度声をかけて、ようやく答えが戻ってきます。

母は言います。
「話しかけられているのは分かっているよ。でも、どう返そうか考えているうちに、そのままにしてしまうの」

耳の遠さや年齢の影響もあるのでしょう。
頭の中ではきちんと会話が続いているのかもしれません。

それでも、会話の流れがふと止まるたびに、私は小さな戸惑いを覚えます。
かつては自然につながっていたやり取りのあいだに、今は目に見えない“間”が生まれているのです。

母自身も気づいている、その小さな空白。
それは静かで、ささやかで、けれど確実に、老いの気配を私に知らせてきます。

「母」という輪郭が、曖昧になっていく恐怖

私は仕事柄、認知機能の低下によって人柄が変わっていく患者や、そのご家族の葛藤を数多く見てきました。
戸惑いも、怒りも、やり場のない悲しみも、頭では理解しているつもりでした。

けれど、それが自分の母のこととなると、まったく別の重みを持ちはじめます。

私が本当に怖いのは、母が変わることそのものではありません。
「私の知っている母」ではなくなっていくこと―そこに、言葉にしがたい恐怖があるのだと気づきました。
母が変わることより、「母ではなくなること」が怖いのです。

即断即決タイプで、少し厳しく、それでも芯の強さを感じさせる人でした。
私の記憶の中にいる母は、輪郭のはっきりした存在です。

その輪郭が、少しずつ、けれど確実に揺らいでいく。
老いそのものよりも、「母」という確かな存在が、足元から静かに崩れていくような感覚があります。

直視できないのは、私のエゴ

心の奥で、ずっと願っています。
どうか、私の知っている母のままでいてほしい、と。

けれどそれは、あまりに身勝手な願いです。
老いは誰の許可も求めず、本人の意思とも関係なく、静かに進んでいきます

姉が限界を迎えたとき、私はどう動くのか。
年金も少なく、貯金もほとんどない母の現実。
いずれ向き合わなければならない「生活保護」という具体的な選択肢。

課題は目の前に積み上がっているのに、それでも私は、ときどき子どものように目をそらしたくなります。
直視できないのは、母の老いではなく、受け止めきれない自分の弱さなのかもしれません。

覚悟はまだ、完成していない

帰省したときは、できるだけ穏やかに接するよう心がけています。
母の気持ちが少しでも軽くなれば、と願いながら。
それが、離れて暮らす私にできる、今のところの精一杯です。

けれど、本音を言えば、覚悟などまだ形になってはいません。
「老い」を知識として理解することと、それを血の通った母の姿として受け入れることは、まったく別でした

どれほど知識があっても、感情はすぐには追いついてくれません。

直視したくない自分と、目を背けてはいけない現実
その狭間で揺れながら、私は今も答えの出ない問いを抱えています。
いつか、「これが今の母なのだ」と、静かに受け入れられる日が来るのでしょうか。
今はまだ、その境地には至れません。
それでも、揺れながら、戸惑いながら、今の母と向き合い続けるしかないのだと思っています。

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