「いい人」なのに疲れるのはなぜ?50代・聞くプロが気づいたこと

家族・人間関係

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皆さんは、人間関係で悩む頻度はどれくらいですか?
私自身、その問いに答えるなら、「悩まない時期はほとんどなかった」と感じます。

50代になるまで、さまざまな場所で多くの人と関わってきました。
時には衝突し、時には泣く泣く我慢する…。
そんな経験を重ねる中で、ある程度のことは「折り合い」をつけられるようになったつもりでいました。

それでも今、私は現在進行形で、ある人間関係に頭を悩ませています。
それは、職場の「上司」との関係です。

理想的なはずの上司と、二人きりの職場

私は病院で医療ソーシャルワーカー(MSW)として働いています。
職場には私を含めて二人のMSWがいますが、後から入職された50代半ばの方が、私の上司となりました。

その方は知識も経験も豊富で、判断は沈着冷静。
私より長く医療福祉の世界を見てきた方なので、本当に頼りになる「いい人」が来てくれたと喜んでいたのです。

ところが、その「豊富すぎる経験」が、皮肉にも思わぬ方向に作用しました

専門職としての「共感力」が仇(あだ)になる

上司は、病院の慣習や他部署の仕事の進め方に対して、非常に敏感な方でした。
「これっておかしいよね?」
「絶対間違ってる」
「こんなの普通じゃない、あり得ないよ」
そんな言葉が、ほぼ毎日のように私に向けられます。

私はもともとの性格に加え、MSWという仕事柄、「相手の話を否定せず、まずは受け止める」姿勢が自然と身についています。
上司から投げかけられる不満に対しても、無意識のうちに相談業務と同じ深さで向き合ってしまっていました。

「そうですね、確かにおかしいですよね」
「本来はこうあるべきですよね」
律儀に、そして丁寧に相槌を打つ。
相手に対する私なりの誠実さであり、当たり前の対応でした。

けれど、それが間違いでした。
気づけば私は、上司が吐き出す職場への愚痴や不満を、毎日全身で浴びるように受け止めていたのです。

「生気を吸い取られる」感覚の正体

昨年の休職期間中、一人で静かに過ごす時間の中で、私はようやく一つの答えを自覚しました。
「私は、上司が吐き出す不満を、毎日全身に浴びすぎて疲れ切ってしまったんだ」と。

実を言うと、仕事終わりの異常な疲労感について、その原因には以前からうすうす気づいていました。
けれど、上司は「いい人」であり、言っていることも「正論」です。
そんな相手に対して拒絶感を抱く自分を認めたくなくて、誰にも言えず、自分自身にさえ「気づかないフリ」をして、やり過ごしてきました。

専門職として「共感し、受容する」ことが当たり前だったからこそ、自分の心が発していたSOSに、あえて蓋をしてしまったのかもしれません。

しかし、立ち止まって振り返ってみると、もう自分を誤魔化すことはできませんでした。
私は、変えられない環境には「折り合い」をつけて適応するタイプです。
一方の上司は、「おかしい」と言い続けながらも、自ら行動しようとはしない。
この出口のない批判を、逃げ場のない職場で受け止め続けたことで、いつの間にか私のエネルギーは空っぽになっていたのです。

「相手の生気を吸い取るタイプ」というのは、決して悪人とは限りません。
むしろ、常識的で仕事ができる「いい人」だからこそ、拒絶できず、心の奥深くまで侵食させてしまう。
そんな怖さを、今になって痛感しています。

50代、これからの自分を守るために

復職して数か月経ちますが、今も上司は「気さくで仕事のできる良い人」のままです。
だからこそ、この悩みは余計に複雑になります。
「これくらいのことで悩むなんて」と、自分を責める気持ちが拭えません

けれど、どれだけ経験を積んだ50代であっても、右往左往することはあります。
自分でも気づかなかったところに、意外な弱点が見つかることもある。

今回私は、「共感しすぎることの危うさ」を、この年齢になって初めて痛感しました。
専門職として磨いてきたスキルが、時には自分を苦しめることもあるのだと。

今の私には、少しだけ「聞き流す勇気」が必要なのかもしれません。

もし「人の気持ちを受け止めすぎて疲れてしまった」経験がある方や、「こんな風にスルーしているよ」という処世術をお持ちの方がいれば、ぜひ教えていただけたらうれしいです。
今の私にとって、皆さんの言葉が何よりのヒントになる気がしています。

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