50歳を迎え、ふと耳にする「人生の折り返し地点」という言葉。
人生100年時代と言われる今、理屈では理解できるのに、なぜか腑に落ちない。
この漠然とした違和感を抱えているのは、私だけでしょうか?
決して「まだ若い」と言いたいわけではありません。
むしろ、「ようやくここまでたどり着いたね」と、ささやかに自分を労いたい気持ちの方が強いのです。
それなのに、「さあ、人生の後半戦だ!」と素直に胸を張って言えない。この違和感の正体は何だろう?
その理由を、私なりに深く考えてみました。
子どもがいる・いない人生で変わる“折り返し”の感じ方
私が折り返し地点を意識できない一つ目の理由は、子供がいないことです
子育てをしてきた方にとっては、子供の成長や独立が大きな節目になりやすいで。
手が離れたタイミングで「自分の時間が戻ってきた」と感じ、その年代を折り返しと捉える方も多いと思います。
一方で私は晩婚で、子供はいません。結婚して約10年、夫と二人で静かな日々を過ごしてきました。
大きな転機やイベントがあるわけでもなく、代り映えしない時間が流れています。
だからこそ、人生の大きな節目として「折り返し」を実感するきっかけが少ないのです。
仕事中心の毎日では“折り返し”を実感しにくい
私が折り返し地点という言葉に違和感を覚える二つ目の理由は、フルタイムで働き続けていることにあります。
多くの人にとって、仕事は生活の大半を占めるものでしょう。
私自身、知らず知らずのうちに「生活=仕事」と変換してしまっていることに気づきました。
日々の業務に追われる中、ふと「このままでいいのだろうか?」と立ち止まることはあっても、改めて具体的な人生計画を立てるまでには至りません。
若い頃は「まだまだ先は長い」とひたすら働いてきましたが、50代になった今、定年を前にして「そろそろペースダウンしたい」という気持ちも芽生えてきました。
もし、人生の「折り返し地点」が、暦上の年齢ではなく仕事のモチベーションや働き方が変わるタイミングだと考えるなら、それは30代後半や40代前半だったのではないでしょうか。
仕事中心の生活において、50歳という年齢は、むしろ「終盤への準備」を意識する時期なのかもしれません。
折り返し地点の捉え方は人それぞれ

人生における「折り返し地点」という表現は、本当に年齢という数字だけで決まるのでしょうか?
私はそうは思いません。
折り返し地点とは、暦上の年齢ではなく、自分自身が立ち止まり、これまでの道を振り返り、これからの方向を見直すタイミングで決まるものだと考えています。
私の場合、この10年で仕事もプライベートも少しずつ自分のペースを見つけ、夫と二人で暮らす日々の心地よさに気づきました。
目に見える大きな変化や節目がなくても、「折り返し地点」は静かに訪れるもの。
それは、「このままでいいのか?」と自分を見つめ直す、内なる声に耳を傾ける時間なのです。
50代は「自分軸の人生」を始めるチャンス
50歳を迎えて気づいたのは、もう他人の価値観や一般的な指標に惑わされなくてもいいということです。
これからの時間をどう使うか、何に価値を置くかは、自分自身で決定できるのです。
趣味に没頭する、学び直す、新しい挑戦を始める─その一つひとつが「人生後半戦」の豊かな彩りになります。
結局、人生の「折り返し地点」とは、数字や肩書きではなく、自分が人生を主体的に味わい始めた瞬間に訪れるもの。
50歳は単なる通過点に過ぎないかもしれませんが、過去と未来をつなぐ大切な節目であることは間違いありません。
私は、「自分の中に、ワクワクする気持ちはまだ残っているか」「残っているなら、どんな時にワクワクするのか」と、自分に問い続けることを大事にしていきたいと思っています。
同じ50代として、『折り返し』という言葉にとらわれすぎず、一緒に自分らしい生き方を描いていきませんか?
人生の折り返し地点は自分で決める
カテゴライズされた言葉に惑わされず、自分にとって心地の良いペースで人生を積み重ねていけたら素敵ですよね。
そして、当ブログが自分の歩みを見つめ直すきっかけのひとつになれば、とても嬉しいです。


