皆さんは、自分の言動の中に
「あ、この言い方、お母さんにそっくり」
「そういえば、お母さんもこういうことをしていたな」
と感じる瞬間はありませんか。
50代を目前にしてから、私自身も「母に似てきた」と思う場面が増えました。
意識しているわけではないのに、ふとした瞬間に重なる仕草や言葉。
今回は、そんな日常の中で気づいた「母に似てきた瞬間」について綴ります。
母から無意識に受け継いだ「整える」習慣
私の母は、とにかく整理整頓が好きな人でした。
使ったものはすぐ片付ける。
出しっぱなしにはしない。
玄関の靴でも、遊び道具でも、服でも同じです。
そしてもう一つ、母は模様替えが好きでした。
家の中を大きく変えるわけではありません。
少し配置を変えたり、元に戻したり。
学校から帰り「あ、ここが変わってる!」と当てるのが、子どもの頃の私の密かな楽しみでした。
そんな母を見て育ったからか、私も気づけば片付けが苦にならない性格になっています。
思い立つとラグを変えたり、家具を動かしたりする自分に気づいたとき、「ああ、やっぱり母に似ているな」と、ふと口角が上がるのです。
母の「満腹チェック」に込められていた気遣い
一人暮らしを始めてから気づいた母のクセが、独自の「満腹チェック」です。
実家に帰るたび、母は必ずこう聞きました。
「お腹いっぱいになった?」
私の返事がどうであっても、母は決まって
「〇〇あるよ。好きでしょ、食べたら?」と続けます。
当時は「もういい歳なんだから、そんなに入らないよ」と苦笑いしていましたが、今ならわかります。
あのしつこいほどの問いかけは、母なりの愛情のバロメーターだったのだと。
そして気づけば、私も同じことをしています。
夫に「お腹いっぱい?」と聞いて、何かしら追加をすすめている。
結局、あの愛情表現のしつこさまで、私はしっかり受け継いでしまったようです。
当たり前だった、我が家のルールと玄関での見送り
子どもの頃、それぞれの家庭に「我が家ルール」がありましたよね。
学校や職場で話して初めて「うちだけだったんだ」と気づくことも。
我が家では、こんなルールがありました。
①起きたらすぐベッドを整えてベッドカバーをかける
②パジャマ以外の服でベッドに入らない
③ベッドの上で飲食しない
④病気の時以外、パジャマのまま一日過ごさない
⑤家族が外出する時は玄関まで見送りに行く
こう書くと「きちんとした家」に見えるかもしれませんが、実際はそんなことはありません。
ただ、母は洋服のままベッドに入ることをとても嫌がりました。
理由というより、完全に母の性格です。
私もそれが普通だと思っていましたが、学生の頃、友人の家に遊びに行ったときに事件(?)は起きました。
友人が外出着のままベッドに寝転び、さらにスナック菓子を食べ始めたのです。
「えっ、そこで食べるの!?」
我が家では考えられない光景に、私は軽くカルチャーショックを受けました。
現在の我が家でも、ルールのほとんどは母のものを引き継いでいます。
幸い、夫も「ベッドは寝るところ」という感覚らしく、寝るとき以外はベッドに入りません。
そして「玄関まで見送りに行く」という習慣も、母譲りです。
母にその理由を聞いたことはありませんが、私自身は「ちゃんと顔を見て送り出したい」という、ごくシンプルな理由で続けています。
「もし、このまま会えなくなったら後悔する」なんて、少し考えすぎかもしれません。
けれど、そんな思いで玄関に立つとき、ふと思うのです。
母もきっと、同じように家族の無事を願いながら、私たちの背中を見守ってくれていたのではないかな、と。
母に似てきた自分を、少しずつ肯定できるようになるまで
自分の言葉遣いや行動の端々に、ふと母の存在を感じる。
もちろん「ここは似たくなかったな」と思うクセもあります。
それでも、最近は不思議と悪い気はしません。
子どもの頃は「母のやり方」だと思っていたことが、時間をかけて自分の中にしみ込み、心地よい「自分のやり方」へと変わっていきました。
年齢を重ねて親に似てくるのは、育ててもらった記憶を大切になぞっているような、愛おしいプロセスなのかもしれません。
母の愛すべきルーティンと一緒に、私はこれからも、着々と「母そのもの」へ近づいていく。
それもまた、50代からの素敵な生き方だと思っています。



