MSWの働き方|マニュアル通りか自分流か?隣の芝生が青く見える理由

キャリア・働き方

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皆さんは、仕事の進め方に違和感を覚えた経験はないでしょうか。

「自分のペースで進めたい」と感じる場面と、「決まった形で進める方が楽」と感じる場面
その狭間で揺れ動く心に、戸惑う人は少なくありません。

先日、久しぶりに会った友人も、まさにその戸惑いの中にいました。

彼女は現在、三次救急を担う大規模病院のMSW(医療ソーシャルワーカー)として「総合相談窓口」に立っています。
新しい環境で、まずは制度や法律を頭に叩き込む毎日。
そんな中で彼女が漏らしたのは、次の言葉でした。

友人
友人

マニュアル通りに動くことが正解だと分かっていても、どうしても心が追いつかない。
自分が機械の一部になっていくような感覚で、なんだか息苦しくて…。

自由な働き方と、マニュアルに守られた働き方
そのあいだで揺れる気持ちについて、少し考えてみました。

マニュアル通りの仕事に感じる「違和感」

彼女の職場には、精巧な対応マニュアルがあります。
「〇〇の相談には、こう答える」という正解があらかじめ決められているのです。

間違いが許されない公的な制度を扱う以上、マニュアルの存在は本来、相談員を守る心強い武器になるはず。
けれど、彼女は戸惑いを隠せない様子でこう言いました。

友人
友人

自分なりに考えて、この人には何が必要かを見極めて動きたいのに、今はそれができないのがとにかくしんどい。
病院という大きな組織のルールの中で、逸脱しないように動くことに必死で、自分が専門職としてどうありたいか、見失いそうになるの。

彼女が感じているのは、単なる「窮屈さ」だけではないのでしょう。
本来、私たちの目の前に現れる相談者は、決してマニュアル通りにはいかない千差万別な存在だからです。
抱えている背景も、言葉の裏にある感情も一人ひとり違います。

「この話は病院で完結できるのか?」
「他の関係機関に繋いだ方がスムーズではないか?」

相手の話を聞きながら、頭の別のところではフル回転で最適解を探る。
それは対人援助職にとって、ごく自然で、かつ大切なプロセスのはずです。

しかし、すべてを「十把一絡げ」に型に嵌めてしまうマニュアルの前では、相談する側もされる側も、どこか不完全燃焼のまま終わってしまうケースも少なくありません。

「自由」という名の責任と、背中合わせの重圧

翻って、自分の働き方を考えてみました。

私は急性期病院のMSWとして、いわゆる「何でも屋」のような立ち位置で動いています。
外来患者のことで診察中に呼ばれたり、入院早々に介入依頼がきたり、患者の家族が介護保険について話を聞きたがっていると看護師から連絡が来たり。

毎日がイレギュラーの連続です。
退院支援という主軸の業務はあるものの、その進め方はほぼ自分の裁量に任されています。

うっすらとした指針(マニュアル)はあっても、基本は自分の頭で考え、自分のペースで組み立てる
スピード感は常に求められますし、時に院長からチクリと嫌味を言われることもありますが(笑)、やり方自体を細かく制限されることはありません。

友人とは、まさに真反対のスタイルです。

では、自由な方が楽なのか? と問われれば、それもまた一概には言えません。
「自由」であることは、その判断のすべてを自分で背負う「責任」とセットだからです。

仕事に真摯に向き合おうとする人ほど、その責任感の重さに、板挟みになって苦しむこともある。
この「板挟み」の確率もまた、仕事への想いに比例して高くなるように思うのです。

結局、私たちは「ないものねだり」を繰り返す

私は今の、比較的自由度の高い働き方に慣れてしまいました。
けれど、エッセンシャルワーカーとしての日々に疲れ果てたとき、ふとこんな願望が頭をもたげることがあります。

「何も考えず、決められたマニュアルを淡々とこなす業務に就きたい…」

きっと、隣の芝生はいつだって青く見えるのでしょう。
マニュアルに縛られれば自由が恋しくなり、自由な環境にいれば確かな道標(型)が欲しくなる。
そんな「ないものねだり」を繰り返しながら、私たちは今日を乗り切っているのかもしれません。

その“ないものねだり”こそが、隣の芝生を実際以上に青く見せている理由なのだと思います。

これは決して、どちらが良い悪いという話ではありません。
今は「型」にがんじがらめでキツイと感じている友人も、いずれ自由を手にしたとき、かつてのマニュアルという「守り」の有り難さを思い出す日が来るのではないでしょうか。

大切なのは、今の自分が「どちらのストレス」にさらされているのかを自覚すること。
そして時には、「隣の芝生を眺めている自分」を否定せず、おかしみを持って受け入れること。

そんなふうに少しだけ肩の力を抜きながら、明日もまた、目の前の現場に立ちたいと思います。

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